ニューベッドフォードの公共施設

ニューベッドフォードの公共施設

ニューベッドフォード(英: New Bedford)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ブリストル郡南部海岸に位置する都市で、市長・市政委員会方式の政府を採用している。

市警察署は4つの分署から市内をパトロールしており、本署はロックデール・アベニューの用途変更されたスーパーマーケット広場にあり、元の本部(中心街にあった)から移転しました。ノースエンド、サウスエンド、中心街にも分署があります。

消防機能はニューベッドフォード市消防署が担当しており、1834年に設立され、全市に配置された7つの分署がある。消防車7台、はしご車3台、消防艇2隻、空気供給機1台、泡搬送車1台があり、ニューベッドフォード地域空港を本拠とする衝突救助部隊がいる。消防士152人、調査官4人、民間人5人を含め203人の制服組がいる。年間約9,000件の緊急出動に対応している。
その他、消防機器維持施設、修理工場、緊急事態管理施設もある。

警察や消防以外にも 高速道路・公共交通機関・鉄道などのサービスも充実している。

 

また、日本でも古くから「捕鯨」や「漁業」が盛んではあるが、ニューベッドフォードは世界でも捕鯨と漁業の重要な港であった。ニューベッドのニックネームは「捕鯨の市」。

old_harbor

 

マサチューセッツ州

マサチューセッツ州

4 T UMAX     PL-II            V1.5 [6]ニューベッドフォードのあるマサチューセッツ州は

■基本情報

(1)面積:23,934平方キロメートル(全米第45位)
(2)人口:654万8千人(2010年)
(3)州都:ボストン
(4)主要都市及び人口:ボストン(64万5千人),ウースター(18万3千人),
   スプリングフィールド(15万6千人)(2009年)
(5)州内総生産:3,421億ドル(2010年)
   一人当たり総生産:52,251ドル(全米第7位)(2010年)

 

■歴史
 マサチューセッツ州は,米国建国の歴史が始まったニューイングランドの中心としての誇りが高く,清教徒の伝統を今に伝えているところです。
1620年,清教徒がニューイングランド最初の英国移民団としてプリマスに上陸し,これを起源としてボストン,セーラム,チャールズタウンに植民地が建設され、州名は先住民のアメリカン・インディアンの言語に由来し「大きな丘の近く」の意味を持っています。
18世紀後半,マサチューセッツは米国独立の気運発祥の地となった。植民地の自治と諸権利を要求する声が強まる中で,英本国の砂糖条例をはじめ一連の対植民地条例に端を発し,マサチューセッツ州は合衆国独立当時の13州の一つとして独立戦争で重要な役割を果たした。
ボストン周辺には,米国最古の大学であるハーバード大学の他,MIT,タフツ大学等多くの高等教育・研究機関が集中し,米国の教育・学術研究の中心地となっている。

 

■政治 

マサチューセッツ州は,故ケネディ大統領一族と縁が深く,伝統的に民主党が強い土地柄でもあり、州議会上下両院においても民主党が圧倒的多数を占めている特徴を持ちます。

 

■文化
 マサチューセッツ州には,ボストン美術館に代表される有名な美術館がある他,京の町家が移設されているボストン子供博物館,セーラム市のピーボディー博物館等特色のある博物館が多い。

 

■日本との関係


(1)ボストン日本協会
 ボストン日本協会は,米国にある40以上の日米協会の中でも最も古い協会である(1904年創立)。日米親善交流のため多くの文化的,社会的行事を開催しており,その規模は法人会員数150社,個人会員数約1000名となっている。1990年7月,日米友好親善交流に尽くしたことを認められ外務大臣賞を受賞し,2003年にはピーター・グリーリ同協会理事長が勲章(勲三等瑞宝章)を受章している。


(2)北海道とマサチューセッツの姉妹都市提携
 北海道とマサチューセッツ州は,明治政府が北海道開拓を進めた際に多くのマサチューセッツ出身の米国人専門家が傑出した貢献を行ったとの史実から交流が深められ,1990年,姉妹都市が提携された。2010年は北海道・マサチューセッツ姉妹都市提携20周年で,各種記念行事が行われた。


(3)ジョン万次郎フェスティバル
 同州南部のフェアヘブンは,幕末から維新にかけて活躍したジョン万次郎が生活した地(1842~46年)で,同地では1987年に皇太子・同妃両殿下(当時)が御訪問された事を契機に「フェアヘブン/ニューベッドフォード・土佐清水姉妹都市委員会」が設立され,以来今日まで隔年で「ジョン万次郎フェスティバル」が開催されている。


(4)在留邦人数
 マサチューセッツ州内に14,121人,ボストン近辺に約10,000人(いずれも2010年10月現在)が在住しているが,当地の特徴として,学生,研究者など大学関係者が多いことが挙げられる。


(5)進出日系企業
 116社(2010年10月現在) と非常に多く、業種は,IT,バイオ,科学,金属,金融,運輸など多岐に亘る。


(6)姉妹州・都市関係
マサチューセッツ州・北海道                 (1990年)
ボストン・京都(京都)                   (1959年)
メドフォード・延岡(宮崎)                (1980年)
ケンブリッジ・つくば(茨城)               (1984年)
アーリントン・長岡京(京都)           (1984年)
フェアヘブン/ニューベッドフォード・土佐清水(高知)     (1987年)
プリマス・七が浜(宮城)            (1990年)
セーラム・大田区(東京)            (1991年)
スプリングフィールド・滝川(北海道)       (1993年)
アマースト・金ヶ崎(岩手)                 (1993年)
コンコード・七飯(北海道)                 (1997年)
マルボロウ・あきる野(東京都)                          (1998年)
グロスター・玉野(岡山県)         (2004年)

ジョン万次郎とニューベッドフォード

ジョン万次郎

john1827年1月1日、土佐清水市中浜の貧しい漁師の家に、2男3女の次男として万次郎は生まれました。

1841年1月、万次郎14歳の時、その年の初漁で、仲間4人とともに長さ8メートルの小舟に乗って漁に出ますが、3日後にシケに遭い、漂流。さらに6日後、土佐清水市から海上760キロ南の太平洋の孤島、鳥島に漂着します。 そこで約半年間の過酷な無人島生活を送り、143日後、海亀の卵を食料にするためにこの島にやってきたアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって発見され、助けられます。ここから物語は思わぬ方向に展開していきます。

当時の日本は鎖国の時代で、外国船は日本に近づくことさえ難しく、万次郎たちは日本に帰ることができませんでした。たとえ帰国したとしても、外国人と接触したということだけで命の保証もありません。 実際に、1837年に漂流者を助けて浦賀に入港しようとしたアメリカのモリソン号が撃退されるという事件があったばかりでした。
この船のウイリアム・H・ホイットフィールド船長(当時36歳)は、5人の漂流者たちを安全なハワイへと連れて行きますが、万次郎はここで1人アメリカへ渡る決心をするのでした。 万次郎の申し出を船長は快く了解し、仲間4人をハワイに残して帰途につきます。万次郎の鋭い観察力と前向きな行動力は船長らに認められ、早速、ジョン・ハウランド号からとった「ジョン・マン」という愛称をつけられました。

1843年、万次郎が救出されてから2年後、船はアメリカ最大の捕鯨基地、マサチューセッツ州ニューベットフォードに帰港。万次郎は初めてアメリカ本土の土を踏んだ日本人となりました。

TOPへ戻る